シュッとスタイル。

人生をシュッとしたいリーマンが書いています

東京ばな奈、アマゾンで「見ぃつけたっ」

先週いっぱいは東京に出張に行っておりました。
人混みに酔い、「一刻も早く地元に帰りたい」と品川駅に急いだ訳ですが、僕には妻と約束したある任務が残っておりました。
それは東京ばな奈を買ってくるという任務です。
 
東京といえば東京ばな奈!というなんとも田舎もん思考な気もしますが、なんせ美味い。
しかも、東京でしか買えないと来たもんだ。
東京に訪れた人間が「東京ばな奈をお土産に買って帰る」というのは、全米が納得するレベルの常識的概念であり、
東京に出張に行った夫が仮に東京ばな奈を買い忘れようもんなら、台所のガスコンロあるいはIHの上で妻に焼き土下座をさせられるはず。
 
だがしかし、そこで僕の頭の中にふと、ある疑問が浮かびました。
 
 
 
「もしかして、東京ばな奈ってアマゾンにも売ってるんちゃうの??」
 
 
 
これです。
思い立ったら吉日。早速ぐぐろうか!と思いましたが、仮にアマゾンで売っていて、尚且つ安いとなったら、すでに12個入りの東京ばな奈を合計二つお買い上げした僕が報われません。
だが、一度疑問に思った事には調べずには入られません。
 
 
ググりました。そして見ぃつけました。いともたやすく見ぃつけたっ。
 
 
買えるんかい。だがしかし!どうせお高いんでしょう??
 
気になるお値段はこちら。12個入り2600円
そしてお土産コーナーで買うと、12個入り1600円也。
 
ふむ。まあまあ、高い。値段だけを見れば、重たい思いをして持って買える意義はありそうです。
いや、しかしながら、地味に重たいのも確か。郵送で済むのならそれもまた正解な気もする。
 
でもまあ、大事なのは東京ばな奈を持ち帰る事で、「いやー東京行っちゃったさー」とドヤ顔する事ができる。
仮にこれがアマゾンで買った東京ばな奈だとすると、「いやー東京行っちゃったさー」とドヤ顔をする事が出来ても、偽りのドヤ顔であり、なんの意味もない。というか多分そんな人はいない。
 
しかしながら、だ。僕は今やなんでもアマゾンで買う事ができるというのは、悪巧みに使われるのではないか?ということを懸念しています。
東京ばな奈を持ち帰る」という行動は、「私は東京に行って来た」という一種の証明であり、コナン君でもない限り、それを見せられた人の頭の中には「この人実はアマゾンで買ったんじゃない?」なんて疑問は出てこない。
 
 
さて、この「東京ばな奈を持ち帰る」人が「私は東京に行って来た」というふうに捉えられる人々の固定概念を利用すると何が起きるのか?という事について考えてみました。
 
 
・田中「どうしよう、夏休みに東京に行くんだって皆んなに言っちゃったけど、微塵も行く気がわかないよ」
→学校に「東京ばな奈」を持って行く→皆「田中は夏休み東京を満喫したんだなぁ」→田中「うへへっ」
 
・サトル「やべえ、N○Kの集金だ...なんとかならないか...???」→玄関に東京ばな奈をぶん投げる→集金「なんだ東京かよ、またにするか」→サトル(あいつ正気か...?)
 
・シンジ「俺、東京行くんだ。」→かなこ「えっ…そうなんだ...」→シンジ「うん、お前に最後に、これだけは言っておきたくて」→かなこ「え、、なに、、、?」→シンジ「俺、絶対、東京行って、ビッグな男になって帰ってくるから!」→「東京ばな奈」を持ってくる→シンジ is big men
 
・少女「いっけない!遅刻遅刻ぅ!!」→東京ばな奈を持ちながら、学校へ急ぐ、かどで少年とぶつかる、東京ばな奈が空へ舞う、そして世界は平和になる→めでたしめでたし
 
 
こちらからは以上です。